世に『文藩』と呼ばれた藩は...

[事務所の日記]

20120518_tokyo1  小生、東京事務所の勤務は、3年目を迎えています。

  都内には60余りの都市東京事務所が設置されていますが、赴任期間は2〜3年となるところが一般的でしょうか。ただ、お話を伺っていると、3年間を『まだ3年』と見るのか、『もう3年』と見るのかは人それぞれです。振り返って自分はどうか?というと、『まだまだ』が相応しいのかもしれません。

  本市ゆかりの経済人の方とお話しする時も然り、文化や芸術に触れる時も然り、読みきれないほどの本の多さも然り...などなど指折り数えきれない程、まだまだ未熟さを感じることしきりです。いわんや、世間に通用する『スマートさ』や『センスの良さ』を身につけるにはあと何年、『為せば成る・・・』上昇志向を持って何事も一歩また一歩です。

20120518_nyutokumon  さて、文教の系譜正しき、人材の育成拠点と呼ばれた藩がありました。江戸時代後期、全国には300以上の数ある藩の中で、教育と学問に優れた藩ということで、世に『文藩』と呼ばれますが、それが伊勢・伊賀32万石の藤堂藩、すなわち『津藩』です。

  津藩が『文藩』と呼ばれた理由は、ひとえに藩校創設者の10代藩主 藤堂高兌(たかさわ)公が多くの優れた学者を集め、充実した教育環境に心血を注いだことが世に知られたものです。そして、その中心としての役割を担った藩校の名は、『有造館』(ゆうぞうかん)。儒教の『四書五経』のひとつ『詩経』の中の『肆成人有徳 小子有造』(ゆえに成人は徳あり、小子もなす(造)あり。)に由来します。

  現在、戦災を免れ現存する唯一の藩校の一部『入徳門』が、津城跡西丸之丸(お城公園:市役所本庁舎の西隣)に移設され残されています。門の前に暫し佇み、昔の『文藩』を偲ばれてはどうでしょうか。