半泥子考(第7日)
[事務所の日記]
投稿者:所長 / 2012年10月22日(月)
陶芸界では魯山人と並び称される半泥子(津市)について、思うままに書き連ねる第7日目です。
今日は、半泥子の気質を培ったものが何だったのか?そんなことを独断ですが、少し紹介したいと思います。
半泥子は、生後間もなく父と祖父を失い、その母親も直ぐに実家に戻されています。ですので、半泥子を育て上げたのは、祖母の政子(まさ)であり、この祖母の教育が半泥子の地(心)を培ったものでしょうね。
この祖母の政子は、伊勢の射和(いざわ)の名だたる豪商である竹川竹斎(佐藤信淵や勝海舟と交流のあった憂国の才人で、『海防護国論』や『護国後論』を書いた。)の妹でした。このため、祖母の教育は、決して半泥子を甘やかさず、少年になると半泥子はすぐに禅の修行をさせられたといいます。また、子供ながらに恋しい母とも半泥子が20歳になるまで再会することが許されてはいなかったようです。
祖母の教えは、『政子遺訓』に書き残されており、
『おのれをほむる者は悪魔と思ふべし。我をそしめる者は善知識と思ふべし。只何事も我を忘れたるが第一なり。』
というもので、半泥子はこの言葉をずっと肝に銘じて守り続けたようですね。
また、健康についても祖母から諭されていたらしく、いくらでも美味しいものを、たらふく食べることができる非常に裕福な家庭でありながら、食べ過ぎると体に悪いので食事の量は控え目にするようにと教えられていたようです。
『食事之事、あまりあまり大食い、阿しく候間、是又よくよくおつくしみなさるべく。』