今日のみ見てや雲隠りなむ…下の句ですが。

[事務所の日記]

20121009_moniji  都内は曇り空、陽が陰るとやはり秋の寒さが身にしみる時季になってきましたね。

  先日、NHKのニュースの中で、日光の紅葉がここのところ見頃を迎えていると報じられていました。都内でもよくよく観ると、木々の葉っぱが少し黄色くなっているものもあり、秋の深まりを感じます。もうずいぶんと前の記事でしたが、『春夏秋冬』ならぬ『春夏夏冬』と捩られていましたが、秋は足早に、いえ、猛スピードも言葉が似合うように駆け足で過ぎていくようです。

 『今日は?』と何げなくみていたら、大津皇子(天武天皇の皇子)が謀反の罪で自害された日ということでした。享年24才、明晰な皇子の若すぎる死です。この皇子は、悲劇の皇子のひとりとして有名ですが、幼少の頃よりその聡明さを発揮し、人に慕われる人柄も併せ持っていたがために、鸕野讃良皇后(後の持統天皇)により謀反の罪を負わせられ、皇后によって死を賜ったと言われています。溢れる才能ゆえに、亡くならねばならない...不思議なものです。

つぬさはふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ(大津皇子、藤原宮にての辞世の歌)

漢詩でも辞世の句を残されていました。

金烏臨西舎  金烏 西舎に臨み
鼓声催短命  鼓声 短命を催す
泉路無賓主  泉路 賓主無し
此夕誰家向  この夕 誰が家にか向ふ

  大津皇子にはお姉さんがいます。小生、伊勢の斎宮に一時住まいしたことがありますが、この皇子のお姉さんの大来皇女は斎王を務められていて、皇子が亡くなる前に伊勢の斎宮に入られています。確か、斎王宮跡に大来皇女の歌碑があったような。 

我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 吾が立ち濡れし

  もうひとつの歌が詠まれていますが、これは碑にはありません。

二人ゆけど 行き過ぎがたき 秋山を いかでか君が 独り越えなむ

  弟の皇子が亡くなった後の大来皇女の歌も探してみました。

神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君も在さなくに

見まく欲り 吾がする君も 在さなくに 何しか来けむ 馬疲るるに

うつそみの 人なる吾や 明日よりは 二上山を 我が兄と吾が見む

磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在すと言はなくに