谷川士清考(第1日)

[事務所の日記]

tanigawa  昨夜の雨もあがり、一転、今日は秋空が戻ってきました。やはり、秋の空は空気が澄んでいるせいか、いっそう高く感じられますね。

  江戸時代の国学者と言えば、みなさんは『本居宣長』と学校で習ったように思い出しますが、その宣長さんが絶賛していた『和語通音』(日本初の動詞活用表で、『日本書紀通証』第1巻に収録されています。)を編纂した、やはり江戸時代の国学者『谷川士清』は津市の出身です。その士清さんが国語学に残した功績はたいへん大きく、その著作『和訓栞(わくんのしおり)』は、わが国で初めての五十音順の国語辞書として有名です。しかし、残念なことに生存中に全巻を刊行することはできませんでした。

  その士清さんを思うままに書き連ねてみようと思います。今日はその第1日目です。

20121010_momiji  士清さんが詠んだ和歌があります。なんとその歌は、宣長さんに、そして幕末の松陰先生にも本歌どりされていたようです。

なにゆえに くだきしみぞと ひととわば
それとこたえむ やまとだましい(谷川士清)

しきしまの やまとごころを ひととわば
あさひににおう やまざくらばな(本居宣長)

かくすれば かくなるものと しりながら
やむにやまれぬ やまとたましい(松田松陰)
※松陰先生が、ペリーの浦賀来航を聞いて、密航をしようとしましたが、失敗に終わりました。その罪で獄中につながれた折を振り返って詠んだ歌です。