谷川士清考(第3日)

[事務所の日記]

20121031_tamamushi  少し寒さが増したようですが、今日も秋晴れの気配がするいい天気、お日様が覗いていると気分もブルーにならなくていいですね。

  さて、本居宣長がその功績を絶賛し、交友のあった江戸時代の国学者『谷川士清』(津市出身)を思うままに書き連ねる、今日はその第3日目です。

  士清さんにまつわる不思議な出来事をひとつ紹介いたします。

  士清さんの旧宅から約100メートルほど先に士清さんを祭った谷川神社がありますが、その神社の鳥居をくぐった境内の一画に、高さ約1.5メートルほどの石碑があります。この石碑には『反古塚』と彫られていて、その石碑の下には、士清さんがしたためた下書きやメモなどが埋められています。

  この『反古塚』は、別名、『玉虫塚』とも言われています。実は、士清さんがこの石碑を建てた日から3日間続けて、石碑の周りに玉虫が姿を現したということです。

  玉虫色と例えられるようにこの虫はとても綺麗で、『吉丁虫』とも書かれるように、古くから日本では『縁起』の良いものと言われています。法隆寺の国宝、玉虫厨子に羽が使われているなど、 その美しさに昔の人々は魅了されていますよね。

※『反古』とは、不要になって捨てる紙のことを指します。『反古塚』は、自分がしたためた下書きやメモが後世の人々の目に触れて誤解されないよう、その紙を埋めたことからその名があり、また、自身の講義原稿や秘伝の書き留めなどは土に埋めるか焼却するしきたりが神道家としての伝統としてもあります。