伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ。

[事務所の日記]

201211  先週末の3連休、休養し過ぎのためか、月曜の朝はいささか出勤するのが一苦労となりました。曇り空のどんよりとした天気が原因のひとつかもしれませんが、スキッと晴れたら少し違ったかもしれません。

  暗い話で書き始めましたが、日曜の新聞4面欄に外交のこと(1年で壊したものは、修復に10年かかると思う。)が触れられていましたので、思い出したものがあります。先の太平洋戦争に突き進むひとつとなった、アメリカからの公文書として、ハル・ノートをご存知ですか。その当時、日米交渉の最終段階に来ていた時に、アメリカ側から日本側に示された外交交渉文書、アメリカ側の交渉当事者の国務長官コーデル・ハル氏の名前からとってそう呼ばれています。正式には、『日米協定基礎概要案』(Outline of Proposed Basis for Agreement Between the United States and Japan)であるこの文書、もう70年以上も経っていますね。諸説ありますが、この文書が日本側への実質的な最後通牒となり、不幸な太平洋戦争の開戦となっていきます。

20121126_kannon  さて、今日は、本市にある『津観音』を少し紹介いたします。

 『津観音』は、正式には『恵日山観音寺』で、真言宗の古刹です。日本三観音の一つで、御本尊は阿漕浦の漁夫の網により出現されたという、秘仏の聖観世音菩薩さまとなります。奈良時代初め和銅2年(709年)の開山以来、約1300年の歴史があり、本市はもとより全国の人々から海上安全、五穀豊穣、所願成就の観音様として深く信仰を集めています。

  また、津観音にある大宝院の御本尊である阿弥陀如来は、『国府阿弥陀』(こうのあみだ)で、『阿弥陀に参らねば片参宮』と伝えられた伊勢の天照大神の御本地仏です。このため、『伊勢は津でもつ。津は伊勢でもつ。』と唄われた所以となっています。江戸時代、庶民の旅行が禁止されていた時代でも、伊勢神宮を参拝する『伊勢参り』は認められていましたので、本市城下もたいそうな賑わいを見せていました。

  津観音のことは、 こちら から。