2012年10月の記事一覧

谷川士清考(第3日)

20121031_tamamushi  少し寒さが増したようですが、今日も秋晴れの気配がするいい天気、お日様が覗いていると気分もブルーにならなくていいですね。

  さて、本居宣長がその功績を絶賛し、交友のあった江戸時代の国学者『谷川士清』(津市出身)を思うままに書き連ねる、今日はその第3日目です。

  士清さんにまつわる不思議な出来事をひとつ紹介いたします。

  士清さんの旧宅から約100メートルほど先に士清さんを祭った谷川神社がありますが、その神社の鳥居をくぐった境内の一画に、高さ約1.5メートルほどの石碑があります。この石碑には『反古塚』と彫られていて、その石碑の下には、士清さんがしたためた下書きやメモなどが埋められています。

  この『反古塚』は、別名、『玉虫塚』とも言われています。実は、士清さんがこの石碑を建てた日から3日間続けて、石碑の周りに玉虫が姿を現したということです。

  玉虫色と例えられるようにこの虫はとても綺麗で、『吉丁虫』とも書かれるように、古くから日本では『縁起』の良いものと言われています。法隆寺の国宝、玉虫厨子に羽が使われているなど、 その美しさに昔の人々は魅了されていますよね。

※『反古』とは、不要になって捨てる紙のことを指します。『反古塚』は、自分がしたためた下書きやメモが後世の人々の目に触れて誤解されないよう、その紙を埋めたことからその名があり、また、自身の講義原稿や秘伝の書き留めなどは土に埋めるか焼却するしきたりが神道家としての伝統としてもあります。

谷川士清考(第2日)

20121010_momiji  今日もいい天気、秋そのものを感じられる一日になりそうです。こんな、いい天気の日はお休みをいただいて...のんびりもまたおつなものですね。

  本居宣長がその功績を絶賛し、交友のあった江戸時代の国学者『谷川士清』(津市出身)を思うままに書き連ねてみようと思います。今日はその第2日目です。

  士清さんが後世に残された主な業績を少し、紹介いたします。

  まず、何といってもこれでしょうね。

『日本書紀通証(全35巻)』、宝暦元年(1751年)に書された日本書紀の注釈書でした。この著書の第1巻附録の『和語通音』は動詞の活用図表で、それを見た本居宣長先生はその学識にうたれ、以後手紙を交わして交友が始まったといわれています。続いては、

『鋸屑譚』、これは、延享5年(1748年)に書された巻1の完稿で、古語の出典等を収められています。

『勾玉考』、これは、安永3年(1774年)に書されたもので、勾玉について書いた考古学的な著作となっています。

『恵露草』、これは、有栖川宮職仁親王に入門した後、親王に添削された自作の歌をまとめた歌集ですね。

  最後に、『和訓栞』。

  士清さんが約21,000に及ぶ日本語を整理した辞書で、その全部を書き終えていました。しかし、士清さんが死去したため、本として出版されませんでした。
 

谷川士清考(第1日)

tanigawa  昨夜の雨もあがり、一転、今日は秋空が戻ってきました。やはり、秋の空は空気が澄んでいるせいか、いっそう高く感じられますね。

  江戸時代の国学者と言えば、みなさんは『本居宣長』と学校で習ったように思い出しますが、その宣長さんが絶賛していた『和語通音』(日本初の動詞活用表で、『日本書紀通証』第1巻に収録されています。)を編纂した、やはり江戸時代の国学者『谷川士清』は津市の出身です。その士清さんが国語学に残した功績はたいへん大きく、その著作『和訓栞(わくんのしおり)』は、わが国で初めての五十音順の国語辞書として有名です。しかし、残念なことに生存中に全巻を刊行することはできませんでした。

  その士清さんを思うままに書き連ねてみようと思います。今日はその第1日目です。

20121010_momiji  士清さんが詠んだ和歌があります。なんとその歌は、宣長さんに、そして幕末の松陰先生にも本歌どりされていたようです。

なにゆえに くだきしみぞと ひととわば
それとこたえむ やまとだましい(谷川士清)

しきしまの やまとごころを ひととわば
あさひににおう やまざくらばな(本居宣長)

かくすれば かくなるものと しりながら
やむにやまれぬ やまとたましい(松田松陰)
※松陰先生が、ペリーの浦賀来航を聞いて、密航をしようとしましたが、失敗に終わりました。その罪で獄中につながれた折を振り返って詠んだ歌です。

 

和歌を翻訳すると。

20121026_sora  空がとても高い秋晴れのいい一日の始まりとなりました。雲ひとつなく、すっきりとしているので、近くの高層ビルからは富士山が綺麗に見えそうです。

  ふと図書館で見つけた本を紹介します。『英詩訳・百人一首』(マックミラン・ピーター著)、新書ですのでわりと気軽に楽しく読めます。日本文学に造詣が深い、アイルランド生まれの筆者が万葉の和歌を英訳していますので、みなさんの中で興味を持たれた方は是非、お勧めです。

  では、和歌の英訳をふたつ。

A Life is vain.
My looks, talents faded
like these cherry blossoms
paling in the endless rains
that I gaze out upon, alone.

Autumn at its saddest-
Rustling through the leaves
and moving on alone
deep into the mountains,
I hear the lonely stag
belling fior his doe.

そうです。

花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに(小野小町)

奥山に もみぢふみわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋はかなしき(猿丸大夫)

20111024_kitabatake  さて、秋と言えば紅葉、その紅葉もいろいろな名所で目を楽しませてくれますが、津市内でも素朴で豪放な魅力にあふれる庭園の紅葉もこの時期から見ごろとなります。

  ひとつは、伊勢国司北畠氏ゆかりの『北畠氏館跡庭園』の紅葉です。この庭園は、伊勢国司の北畠顕能を祀った『北畠神社』の境内にあり、室町時代の重要な文化遺産として国の名勝・史跡に指定されています。また、この庭園を通って森林セラピーのコースも設定されていますので、健康増進にももってこいの場所でもありますよ。

201110XX_geinou_add  もうひとつは、市芸濃エリアにある河内渓谷の紅葉です。巨岩奇岩と清流が織りなす美しい渓谷、渓谷美を背景に真っ赤な紅葉が辺りを染め、素晴らしい景観を見せてくれますので、秋深まるこれからの季節、カメラを肩にお出かけください。

 

今日のみ見てや雲隠りなむ…下の句ですが。

20121009_moniji  都内は曇り空、陽が陰るとやはり秋の寒さが身にしみる時季になってきましたね。

  先日、NHKのニュースの中で、日光の紅葉がここのところ見頃を迎えていると報じられていました。都内でもよくよく観ると、木々の葉っぱが少し黄色くなっているものもあり、秋の深まりを感じます。もうずいぶんと前の記事でしたが、『春夏秋冬』ならぬ『春夏夏冬』と捩られていましたが、秋は足早に、いえ、猛スピードも言葉が似合うように駆け足で過ぎていくようです。

 『今日は?』と何げなくみていたら、大津皇子(天武天皇の皇子)が謀反の罪で自害された日ということでした。享年24才、明晰な皇子の若すぎる死です。この皇子は、悲劇の皇子のひとりとして有名ですが、幼少の頃よりその聡明さを発揮し、人に慕われる人柄も併せ持っていたがために、鸕野讃良皇后(後の持統天皇)により謀反の罪を負わせられ、皇后によって死を賜ったと言われています。溢れる才能ゆえに、亡くならねばならない...不思議なものです。

つぬさはふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ(大津皇子、藤原宮にての辞世の歌)

漢詩でも辞世の句を残されていました。

金烏臨西舎  金烏 西舎に臨み
鼓声催短命  鼓声 短命を催す
泉路無賓主  泉路 賓主無し
此夕誰家向  この夕 誰が家にか向ふ

  大津皇子にはお姉さんがいます。小生、伊勢の斎宮に一時住まいしたことがありますが、この皇子のお姉さんの大来皇女は斎王を務められていて、皇子が亡くなる前に伊勢の斎宮に入られています。確か、斎王宮跡に大来皇女の歌碑があったような。 

我が背子を 大和へ遣ると さ夜更けて 暁露に 吾が立ち濡れし

  もうひとつの歌が詠まれていますが、これは碑にはありません。

二人ゆけど 行き過ぎがたき 秋山を いかでか君が 独り越えなむ

  弟の皇子が亡くなった後の大来皇女の歌も探してみました。

神風の 伊勢の国にも あらましを 何しか来けむ 君も在さなくに

見まく欲り 吾がする君も 在さなくに 何しか来けむ 馬疲るるに

うつそみの 人なる吾や 明日よりは 二上山を 我が兄と吾が見む

磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在すと言はなくに

 

『舶来もの』ってご存知ですか?

halloween  秋風の吹く、とても風の強い一日の始まりとなりました。

  もうすぐ、ハロウィンですね。

 『舶来』というものに一種の憧れを感じ入るもののひとりですが、このハロウィンも舶来のもの、でも、今やグローバル化した世の中でこうした感情を抱くのは珍しいのかもしれません。また、この時季、秋のバラも見頃を迎えますが、このバラも古くは大陸から渡ってきた舶来のものといったものでしょうか。

  この休日はさっそく近くのバラ園に足を運んでみましたが、バラの種類も銘もたくさんでとっても覚えきれるものではありませんでした。でも、秋晴れの暖かな日差しのもとで、その芳しい香りは園いっぱいに漂い、午後のひとときをたくさんの方々が楽しんでみえましたね。

20121024_bara  古今和歌集の中にもバラを詠んだ歌があります。『さうひ』(薔薇)をお題に詠んだ歌で、『けさ』の『さ』と、『うひにぞ見つる』の『うひ』を詠みこんでいます。

我はけさうひにぞ見つる 花の色をあだなる物といふべかりけり(紀貫之)

  なんと、枕草子(能因本)の中にも薔薇が登場します。『さうひ』のことが書き記されていました。

『さうびは、近くて、枝の様などはむつかしけれど、をかし。』

20121024_sirositaezu  さて、築城の名手、藤堂高虎の手によるお城を中心とした津城下絵図を今回、改訂復刻して提供します。

  津市が所蔵する津城下絵図のうち、新たに江戸時代後期の嘉永期(19世紀)絵図を縮小印刷したものですが、平成22年度に販売した寛永期(17世紀)と平成23年度販売の享保期(18世紀)の絵図を改訂復刻して販売いたします。それぞれ、絵図に書かれた文字(町名や藩士名など)の情報を活字化した別図を付け、絵図と対照しながら記載内容をご覧いただけるようになりました。

販売開始日: 本日、平成24年10月24日(水曜日)より

販売価格: いずれも1部 1,000円

販売場所: 教育委員会事務局生涯学習課、教育委員会事務局各事務所、津リージョンプラザ、久居駅前出張所

お問合せ: 教育委員会事務局生涯学習課(TEL:059-229-3251)

半泥子考(最終回)

20120326_handeisi  陶芸界では魯山人と並び称される半泥子(津市)について、思うままに書き連ねる第8日目、最終回です。数字の『8』は漢数字で『八』、末広がりの縁起のいいものですので、ここで打ち止めがいいのかもしれません。

  では、最終回の今日は、やはり、半泥子の経歴を速足で紹介したいと思います。

1878年 伊勢商人川喜田家の長男として大阪にて生まれる。
       本名:川喜田久太夫政令(まさのり)

三重県尋常中学(現在の三重県立津高等学校)を卒業して、

1901年 23歳で川喜田四郎兵衛の長女・為賀と結婚。

1903年 百五銀行の取締役に就任。

1912年 三重県津市・千歳山の土で手探りで楽焼の茶碗作りを始める。

1915年 父の命日に千歳山に邸宅を建築し移住する。

1919年 百五銀行頭取に就任。

1923年 欧米旅行に出かけ、マチス、ボナールらの名画を入手。この頃『無茶法師』と号す。

1925年 楽焼師、長江寿泉の設計による両口の倒炎式石炭窯を千歳山に築窯、初窯を焚く。

1930年 私財を投じて財団法人石水会館を設立、千歳山に『千歳文庫』を建てる。

1932年 自己流で本窯を炊き上げる。茶の湯の師匠、久田宗也に所蔵される。

1934年 朝鮮、鶏龍山の古窯跡をヒントに自ら三袋の登窯を築窯、成功する。

1936年 加藤唐九郎と共同で翠松園に天狗窯築窯。金重陶陽、北大路呂山人との交流が始まる。

1937年 加藤唐九郎と決別。赤絵を始めて試みて、赤坂山王下の茶屋で「無茶法師作陶展」開催。

この年、荒川豊蔵との交流始まる。また、朝鮮に渡り山田萬古郎を訪ね、荷苗里窯刷毛目を試みるが、意に適わず。

1938年 還暦記念に『赤絵梅文茶碗』を61碗制作する。陶陽窯を訪ねる。

1940年 荒川豊蔵と鳴滝の乾山窯を調査する。古伊賀水指の名品『破袋』に倣って伊賀水指『破袋』を制作。

1941年 仁和寺で『仁和寺御記』を拝見。池田家所有の『陶工必要』を筆写する。

1942年 荒川豊蔵、金重陶陽、三輪休雪を千歳山に招来し『からひね会』結成。

1947年 千歳山より戦中疎開した広永に築窯『広永窯』にて初窯を焚く。

1949年 金重陶陽、広永窯来訪。『大吹雪』を制作。

1956年 藍寿褒章受章。

1963年 10月26日 没

8回の半泥子考(思うまま)にお付き合いいただき、ありがとうございました。

20121023_simo P.S.  朝から風が強く、荒れた寒冷前線の通過で今夜はグッと気温が下がるようです。なるほど、昔の人はよく言ったもので、今日は『霜降』でした。

  まだまだ霜は見ることはできませんが、一段と寒さが増してきますので、みなさんも暖かくして、お体をご自愛ください。

葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕 倭し思ほゆ(志貴皇子)

  天智天皇(中大兄皇子)を父とする志貴皇子が、遠く難波宮にいて、京の都のことを思って詠んだ歌です。

 

半泥子考(第7日)

20120326_handeisi  陶芸界では魯山人と並び称される半泥子(津市)について、思うままに書き連ねる第7日目です。

  今日は、半泥子の気質を培ったものが何だったのか?そんなことを独断ですが、少し紹介したいと思います。

  半泥子は、生後間もなく父と祖父を失い、その母親も直ぐに実家に戻されています。ですので、半泥子を育て上げたのは、祖母の政子(まさ)であり、この祖母の教育が半泥子の地(心)を培ったものでしょうね。

  この祖母の政子は、伊勢の射和(いざわ)の名だたる豪商である竹川竹斎(佐藤信淵や勝海舟と交流のあった憂国の才人で、『海防護国論』や『護国後論』を書いた。)の妹でした。このため、祖母の教育は、決して半泥子を甘やかさず、少年になると半泥子はすぐに禅の修行をさせられたといいます。また、子供ながらに恋しい母とも半泥子が20歳になるまで再会することが許されてはいなかったようです。

20121018_handeisi  祖母の教えは、『政子遺訓』に書き残されており、

『おのれをほむる者は悪魔と思ふべし。我をそしめる者は善知識と思ふべし。只何事も我を忘れたるが第一なり。』

というもので、半泥子はこの言葉をずっと肝に銘じて守り続けたようですね。

  また、健康についても祖母から諭されていたらしく、いくらでも美味しいものを、たらふく食べることができる非常に裕福な家庭でありながら、食べ過ぎると体に悪いので食事の量は控え目にするようにと教えられていたようです。

『食事之事、あまりあまり大食い、阿しく候間、是又よくよくおつくしみなさるべく。』

この週末は、神楽坂毘沙門天にお立ち寄りください。

20120627_okasi  台風も足早に南の海上を通りぬけ、この週末は台風一過の秋晴れを連れてきてくれそうです。

  何かと行事の多い秋の時季、ご多分にもれず、事務所も今週末(20、21日)は、神楽坂のイベントに参加させていただきます。毎年、神楽坂毘沙門天界隈で行われている『神楽坂まち飛びフェスタ』(今年は10月13日〜11月3日)、どこか小京都を想わせるような神楽坂の佇まいの中で開催されるこのイベントはいつもながら大勢の人で賑わっています。有り難いことに、今年は、本市ゆかりの方のご厚意もあり、本市と四日市市が合同で参加しています。

  毘沙門天への参道前右側にPRコーナーをいただき、今週末のみとなりますが、芸術文化・観光PRをテーマに、陶芸界ではその名も知れた東の魯山人と並び称される『川喜田半泥子』(津市)の魅力を少しでもお伝えできればと思っています。

  パンフレットのほかに、半泥子など本市ゆかりの先人を掲載された冊子(30冊限定)も用意していますので、興味のある方はお申し出ください。

  それと、サポータバッチを持っているみなさん、是非、本市のPRコーナーにはお立ち寄りくださいね。

  バッチを提示していただくと、本市公認ゆるキャラ『シロモチくん』のフェースタオルをプレゼントいたします。ただ、数量に制限(20日、21日両日ともに100個限定)がありますので、ご注意ください。

(と き)10月20日(土)〜10月21日(日) 9時〜17時

(ところ)神楽坂 毘沙門天善國寺書院

フェスタプログラム中、15ページ44番『芸術文化・観光PR』をご覧ください。

20120827_perfume  P.S. 今日は朝からラッキー、キンモクセイのほのかに甘酸っぱい香りを見つけました。やはり、この時季、どこともなく漂ってくる香りが一瞬の甘美な世界へと誘ってくれますね。

  あまり近づきすぎると嗅覚が参ってしまいますので、『ほのかな』程度がちょうどいいのかもしれません。通勤電車の中での香りも同様に通じるところもありますね。

  キンモクセイではありませんが、香りを詠んだものがありました。

帰り来ぬ 昔を今と 思ひ寝の 夢の枕に にほふたちばな(式子内親王)

半泥子考(第6日)

20120326_handeisi  陶芸界では魯山人と並び称される半泥子(津市)について、思うままに書き連ねる第6日目です。

  今日は、半泥子の書いた『書』、言葉遊びの数点を紹介します。以前にも言葉遊びを書きましたので、重複していますが、再度、『なるほど』って感動新たですね。

『波和遊』はというと、『How are you?』

『大夢出門』は、『Time is Money.』

『喊阿嚴』は、『Come again!』

20121017_handeisi1  こんな俳句も詠んでいますよ。

秋風の ふくやろくろの 廻るまま

20121017_handeisi2  『無茶』、そう言えば半泥子の用いた号に『無茶法師』がありましたね。

P.S. 今日は朝から雨降り、肌寒い一日となりそうです。都の花木は『イチョウ』、都内いたるところにイチョウの木が植えられています。神宮外苑のイチョウ並木の素晴らしい風景はこれからですね。黄金色の葉がちらほら、そんな並木道の下を散歩するのには、あと幾日(月)かかるでしょうね。

  これも秋の風物詩でしょうか、イチョウといえば『銀杏』(ぎんなん)。最近、風の強い日の後は、銀杏の実が公園のあちこちに落ちていて、早朝からビニール袋いっぱいにして、銀杏を拾われているご高齢の方が見えます。きっと、銀杏の実を炒って、そのまま?、また、茶碗蒸しに入れて秋の味覚を召し上がるのかもしれませんね。

  銀杏の実が落ちている所は、その香りで直ぐにわかります...『私は、ここにいますよ。』とばかり香りをあたりに醸していますので。

  まだ、イチョウの葉は緑色ですが、イチョウを題材にした短歌は、与謝野晶子ですね。歌集『恋衣』の中にあります。

金色の ちひさき鳥の かたちして 銀杏ちるなり 夕日の岡に(与謝野晶子)

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