なかばなずみて、なかばなずまず。

[事務所の日記]

20120719_asobi  ひらがなでタイトルを書きましたが、本市の粋人『半泥子』の号を意味する『半ば泥みて、半ば泥まず』です。

  陶芸において、魯山人と並び称される半泥子ですが、半泥子の芸の心は『遊び』に通じるところかも知れません。 梁塵秘抄の中に有名な『遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけむ 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそゆ揺るがるれ』がありますが、その『遊び』に没頭する半泥子の姿を重ねてしまいます。

  半泥子はこの号の他に、いくつかの号を持っています。『泥仏堂(でいぶつどう)』、『無茶法師(むちゃぼうし)』、『莫迦耶廬(ばかやろ)』、『部田六郎(へたろくろ)』、『其飯(そのまま)』などですが、何とも半泥子らしい号というものかと感心させられます。半泥子は言葉遊びをとても楽しんだ方のようで、その遊び心からこうした号が自然と出てきたのかもしれません。

  半泥子のこうした気質を培った要因はいろいろとあると思いますが、半泥子は生後間もなく父と祖父を失い、母親は実家に戻され、幼少の半泥子を育て上げたのは、祖母の政子(まさ)であり、この祖母の教育が半泥子の地を培ったものかも知れません。ちなみに、祖母は伊勢の射和(いざわ)の名だたる豪商、竹川竹斎(佐藤信淵や勝海舟と交流のあった憂国の才人で、『海防護国論』や『護国後論』を書いた。)の妹であったことからも、祖母の教育は、決して半泥子を甘やかさず、少年になると半泥子はすぐに禅の修行をさせられ、また、恋しい母とも20歳まで再会することが許されてはいなかったと言われています。

 『おのれをほむる者は悪魔と思ふべし。我をそしめる者は善知識と思ふべし。只何事も我を忘れたるが第一なり。』という祖母の教えを半泥子はずっと肝に銘じて守り続けたようです。

 『食事之事、あまりあまり大食い、阿しく候間、是又よくよくおつくしみなさるべく。』という健康についての祖母の諭しもあり、いくらでも美味しいものを、裕福に食べることができる家庭でありながら、食べ過ぎると体に悪いので食事の量は控え目にされていたのでしょうね。

20120627_okasi  さて、今週末(7月21日(土))に銀座で四日市市がPRイベントを開催しますので、本市もちゃっかりと便乗させていただき、本市のシティプロモーションをいたします。

  四日市市出身のバイオリンニスト 花井悠希さんのミニコンサートもあり、午後のひと時を素敵なクラシックとともに楽しんでいただけ、また、来場いただいた方には心ばかしのプレゼントも用意していますので、暑さの厳しい折ですが、どうぞお立ち寄りください。ただ、プレゼントの数量には限りがありますことをご容赦ください。

  7月21日(土) 14:30と17:00からミニコンサート

                    ※プレゼント配布は、概ね15:00と17:30からとなります。

  モザイク銀座阪急エントランススペース(1階)
   http://www.mosaic-ginza-hankyu.jp/access/index.html